困りごとを可視化する〜HSC+ASDの経験談〜
低緊張で不器用だった息子マコトの2歳当時。私が最もこだわっていたのは、1日でも早く感覚統合療法を受けることでした。そして次に自閉スペクトラム症 (以下ASD)の診断です。支援級を選択肢として選べるように就学準備に余裕を持てる時期までに..と考えていました。
診断は3歳を迎える前、現在の主治医からおりました。そして8歳現在まで、ASDの診断に守られてきたという実感があります。ありのままのマコトを認めて応援してくださる方々に出会えたのは、紛れもなく診断があってのご縁だと思っています。
診断にこだわったのは ..
本人の特性に合った必要な支援・配慮を受けるため
〜ASD診断によるメリット(マコト・現在まで)〜
■理解される環境に身をおき、苦手分野も肯定される経験が増えた。
・発達指数(DQ)から厳しかった、児童発達支援センターへ入園。
・同じく難しかった公立小学校・支援学級への在籍。
■市の『自閉症特性アセスメント』の利用(詳細は後日別記事にて)
※上記は自治体により事情が異なるかと思います
マコトの運動発達は、日常生活にも不便が多く、集団生活で皆と同じ土俵に立った時に自信を失いかねないことは予想がつきました。
だけど、人に合わせやすいHSC気質を併せもつマコトは、幼児とは思えないほど自制力が強く、こだわりや社会性の面で課題が見えにくいのです。
そこで困りごとを園や学校へ伝える時に、明確な根拠として診断名があることで、話を伝えやすかったことは大きいです。
また、誰もが少なからず持っているとされるASDの特性です。定型発達児との明確な線引きもなく曖昧なことから、現場で多忙な先生方が、”困っている子” を正しく見極めていくには限界があるような気がします。
診断は少なからず、そういった状況から守る手段のひとつでした。
もちろん、デメリットについても深く考えさせられました。レッテル貼り・ラベリング理論という問題もあり、診断に対する考えは、個々のケースによっても違いがあるだろうと思います。
マコトの場合は、もう近い時期に考えている”告知”を考えた時に、HSCであることがASDのスペクトラムという解釈の理解を助けられるよう、私が伝え方を工夫しなければ..と考えています。
ここ数年、NHKで発達障害の特集が増えるなど、社会全体で関心は高まりつつあるのかもしれません。けれども、幼稚園や学校での付き添いの実体験としては、理解が深まったと感じられる場面はまだ少ないのが正直なところです。
先生方個人の問題ということではなく、増え続けている支援が必要な児童に対して、学校環境は変化がなく追いつけないままなのだと。一人ひとりの合理的配慮が実現可能なシステムとして整っていない印象です。支援体制に無理のない学校運営へと根本的に大きく変えていく必要性を感じてしまいます。
能力に合った課題を乗り越えていくことで、少しずつ成功体験を積み上げいって欲しいという気持ちでしたが、それはマコトの特性に合った支援なしには難しいことです。私にとってはそれを叶えていく上で、必要な道しるべとしての診断だったように思います。
HSC気質がASD特性を潜在化させる
現在の主治医と出会うまで、マコトの生きづらさはすんなりと認められてきたわけではありませんでした。
HSCでもあるマコトの場合、DSM-5(米国精神医学会が発行の診断ツール・最新版)の2項目( 1・2 )が、それほど目立たないことが大きな理由だと思います。
1. 社会的コミュニケーションおよび対人相互反応
2. 興味の限局・常道的反復的行動
これらはASDの中核的な特徴とされているので、表面化しないとASDらしさは感じにくく、不器用さなどの問題まで見過ごされてしまいがちです。
〈 1. 社会的コミュニケーションおよび対人相互反応 〉
コミュニケーションについては、五感の過敏さから圧倒的に集団経験が少ないこともあり、同年代に比べると現在もやや幼さが見られる点は否めませんが、それも環境や相手によって影響されているので、常に一定のスキルではなさそうです。
また、感覚飽和に陥り、情報処理が追いつかない場合には “フリーズ” が引き起こされることも。こういったことは社会性に影響が出ていると思うのですが、やはり集団の中ではその異変を先生方に気付いてもらうことは難しいです。「やる気がない」「怠けている」といった誤解を受けやすい点に注意が必要です。
〈 2. 興味の限局・常道的反復的行動 〉
常同行動(※)は、不安やフラストレーションなどから繋がりやすいということを聞きます。
マコトの場合は、常同行動と呼べるような見た目にわかりやすい言動が気になったことはなく、不安などからくるストレスは、園や学校でチックとして現れやすいようです。
これもほとんど聞こえない程度の空咳(単純音声チック)や、瞬き(単純運動チック)だったりと、事前に情報を伝えない限りは集団の中では見過ごされがちです。
数年の集団生活を経験して、マコトのように言動が目立たない子の場合は特に自分に合ったSOSの方法を見つけておくことが、自分を守る術であり、大切だと実感しています。
(※)常同行動 : 明確な目的がないように見える反復的な行動や姿勢など(身体を揺らす等)
そして、下位項目として追加された、次の感覚の問題にはとても当てはまります。
3. 感覚過敏・鈍麻
マコトの場合、ASDらしい ”こだわり”の類というと感覚過敏・鈍麻です。
一般的には負担に感じるほどでもない刺激に対しても、耐えがたいことがあるのです。かと思えば、乳幼児期から転んでも泣いたことがないなど、痛みであったり自分の身体の状態について鈍感さもあるといった状態です。度合いで言うと過敏さが目立ちますが、鈍感さから感覚刺激を求めていると感じる様子も時々見られます。
集団への苦手さは私自身(HSP)のこともあり、過敏さの影響が大きいと予想がつきます。
だけど、私にはマコトのような『鈍麻』が影響した生きづらさはなく、過敏さと鈍麻が同居するという感覚は経験がないので、私も気を遣う部分でもあります。
感覚の問題は、イメージする以上に日常の様々な場面に影響してしまいますが、誰でも自分の感覚がスタンダードであり、経験のない感覚について想像し難いことは当然で、理解を求めるのは難しいだろうとを半ば諦めてきたかもしれません。だからこそ、ASDの診断はマコトの生きづらさを認めてもらう上で役割が大きいと考えてしまいます。
感覚の問題が、社会性やコミュニケーションの問題に影響が及ぶとして、それは自然なことのようにも思いますし、恐らくマコトも例外ではないのだと思います。
ただ、社会性・コミュニケーションやこだわり、感覚の困り感が 、人それぞれ”スペクトラムのどこに位置するか” が、恐らく100人いれば100通り違うのだろうと..
感覚のアンバランスさ。発達障害との関わり、複雑で難しいです。
またマコトの不安感の強さは、こだわりのようでもあるのですが、毎日の登校をやめ、ホームスクールをベースに変えたことで、安心できる環境では、それほど丁寧な見通しがなくても不安に直結しないこともわかってきました。
マコトの場合、”必要な支援を受けるため” に、診断の重要性を感じている理由は次のような感じです。
ASDの診断が重要だった理由 〜マコトのケース〜
・運動発達の課題が大きいため。(自尊心に影響)
・発達性協調運動障害の診断名は浸透しておらず、助けに繋がらない。
・感覚の問題は、目に見えず周囲からわかりにくいため。
・HSCのため。(場の空気や表情を読む・深く考える等の特徴から自己肯定感が下がりやすい→二次三次障害のリスク)
▶︎『感覚と不安』マコトの感覚処理障害と不安との関係について
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