昨年クリスマスから公開の映画『えんとつ町のプペル』。脚本・監督の西野亮廣さんのTwitterのアカウントには、現在も様々な反響が更新されています。10都府県で緊急事態宣言の最中も、リピーターは多かったと聞きます。心に突き刺さるという人にとっては、それほど価値が感じられる作品なのだと思います。
幼児期からの映画好き・敏感っこのマコトも、過去最高に号泣したこの映画。次世代への過渡期であるこのタイミングに放たるべき必要なメッセージのようでした。常人の何倍も先読み能力の高そうな西野さんだからこその内容..! 期待通り、マコトにもちゃんと響いた様子。
ロザリーナさんが歌うエンディング主題歌『えんとつ町のプペル』の歌詞には、こんな風に私たちが日常で感じるリアルな違和感が書かれています。
”夢を持てば笑われて
声を上げれば叩かれる
見上げることのできない町で
ボクはどうだ?”
【引用】えんとつ町のプペル /作詞 西野亮廣 より一部抜粋
映画を鑑賞前。マコトと私は原作の絵本と共に、まずこの曲に惹かれて連日のように聴いていました!誰もが感じていそうな、だけどあえて問題視しないでいるような大きな課題について、きちんと向き合っている映画なのかも、そんな期待をさせてくれる曲です。
疑問の声もあげにくい同調圧力が生まれやすい日本社会で、この映画はどのような評価を受けるのか?少し興味がありました。
今更ながら映画レビューという感じではないけれど、自分の日常と重ねて感じたことをまとめておこうと思います。
※記事は映画の内容とは直接関係はありませんのでご了承ください。
集団主義と同調圧力
映画を観てどこか胸が騒ついたのは、マコトに付き添い登校をした経験に基づきます。思い出すのは、小学校入学直後から1年ほど現場で感じていた授業風景。「わかりません」などと意思表示しにくい教室内の空気、独特の緊張感が漂っていました。
初めての本格的な社会生活。先生から教わる小学校特有の常識の数々は、真っ白な子ども達の頭に次々と詰め込まれていきます。
例外的な学び方はほとんど認められず、全員が一律に同じ方法で学ぶということ(通常学級の場合)や、集団行動の多さ。
それは私が小学生当時とあまり変わらず、日本では今も尚、こういった学校教育がスタンダードなのかもしれませんが..。まるで軍隊のような光景は、見ていて息苦しくなります。日本の学校教育は、皆と足並みを揃えるということが、まだ譲れないのだと再認識します。時代とのギャップは否めません。
協調性・社会性を重要視することは大切だけど、協調性は自分の個性を押し殺すこととは違うのに..私にはそんな風に見えました。
また十人十色の個性(特性)に対して、同じアプローチをする学習環境にはどうしても不安を感じます。この時期の最重要課題だと思っている”自己肯定感を育む”というステップが疎かになってしまうのは、想像に難くないから。
個々の特性が尊重された活動内容を通して、マコトが”自分の個性を認められる”という経験をしてくれたら、やっぱり私は嬉しいです。個人的には学童期の学校教育に一番望むことかもしれません..!
認められて、自分を肯定できる環境下なら、気持ちに余裕を持って自己理解や他者理解も深めていけるかもしれない。それは本当の意味で、協調性や社会性をも育むことにも繋がる気がして。
我が家の場合、現在マコトはホームスクール で過ごしています。
だけど、家庭学習に公的補助もない現状では、誰でもが選択肢として考えやすい方法ではありません。だからこそ発達特性の凹凸っこたちにとって、公教育の場が堂々と自分らしくいられない場所であって欲しくないのです。
個性的な子どもたちが、”普通”になることを目指すような場にいては、自分を肯定できないから。
自分に正直に生きる〜個人が尊重される社会へ〜
知らない世界を知ることは、人生の可能性を広げて、生き方の選択肢を増やしてくれるかもしれない。
だけど、ルビッチが暮らすえんとつ町では、煙の向こうに何があるのか、興味を持つことがないままに暮らす住民たちの様子が描かれています。そして仮にその魅力に気付いていたとしても、従来のルールから外れたり、疑問に対して声を上げることは、えんとつ町でも、実際の日常でもやっぱり難しい..。
自分が属するコミュニティで求められる人物像から大きく外れることは、その場の空気に逆らうことだし、その場に適応できない人として、居場所を失いかねないから。現状の社会では少数派になることは、本当に面倒でリスキーです。
社会に上手く適応しているマジョリティが優先の社会環境にいると、様々な心の葛藤を抱えながらも、結局は自分を守るために無難な道を選択しがちになってしまう。あらゆる環境や仕組みが、標準的な人たちを基準に考えられているのだから、標準の枠に収まらないような人たちは、生きづらさを感じてしまうことはある意味、必然なのだと改めて感じます。
だけどこれからは、組織に属するというよりも、個性を武器に個人の発信力で働く人たちが活躍できる時代です。従来の学び方・働き方で上手くいかず、生きづらさを抱えているような人たちこそ、個性を発揮して輝ける可能性を秘めているのです。だからこそ、もっと大きく大胆に、学校教育をはじめ日本の社会全体のシステムが変わっていくことを期待せずにはいられません。
ルビッチは、そんな心の葛藤を乗り越えて大きな一歩を踏み出して、自分自身と、えんとつ町の未来を変えることができました。
自分の人生と真剣に向き合って、与えられた時間をどう過ごせば納得した人生を送れるのか、時々は立ち止まって考えてみることって大事だな..そんな機会に恵まれたのが、今回は映画『えんとつ町のプペル 』だったのかもしれません。
誰でもが、自分の心に正直にいられる社会がやっぱり理想です。
人生の最期に後悔しないためにも、”自分らしさ”こそ、誇れる人生でありたいなと思います。そのために、いまからできることは?